【小谷城の戦い】浅井長政・お市の方の運命は…⁉信長vs長政いよいよ決戦の時!
「織田信長」vs「浅井長政」最後の決戦! 1573年(天正元年)8月20日に、越前「朝倉義景」が自害して500年もの間栄華を誇った「朝倉氏」が滅亡しました。(一乗谷城の戦い) その後信長は、間髪入れずに江北…
「織田信長」vs「浅井長政」最後の決戦! 1573年(天正元年)8月20日に、越前「朝倉義景」が自害して500年もの間栄華を誇った「朝倉氏」が滅亡しました。(一乗谷城の戦い) その後信長は、間髪入れずに江北…
織田信長嫡男「織田信忠」の初陣! 「織田信長」vs「浅井長政」 信長、長政への4度目の挑発! 1572年(元亀3年)7月21日、つい4か月ほど前に、浅井長政の小谷城麓を焼き払い挑発を仕掛けたものの、長政が挑…
「織田信長vs浅井長政」長政への3度目の挑発! 信長vs長政の最終決着となる「小谷城の戦い」(1573年天正元年)が起こるまで、両者の間では数回の前哨戦(合戦)が繰り広げられました。 1570年(元亀元年)…
信長、屈辱の和議申し立てに“怒り心頭!” 比叡山焼討ちの原因はこの合戦だった! 1571年(元亀2年)9月12日、壮絶な殺戮戦となった「比叡山延暦寺焼き討ち」が信長の手によって行われました。 僧侶、学僧、…
浅井長政(義弟)が裏切った‼ 信長、挟撃され絶体絶命…! 織田信長戦史の中で、信長自身が最も追い詰められ絶体絶命となった撤退戦。 戦国でも有名な撤退戦で、金ケ崎の退き口(かながさきののきくち)…
「元亀争乱(げんきそうらん)」。 1570年4月23日に、「足利義昭」が将軍としての威光を示すために元号を「元亀(げんき)」と変更し、信長にとって最も激しい争乱の幕開けとなる時代のことを総じて表した言葉です…
血で血を洗った合戦! 1570年(永禄10年)「姉川の戦い」。 「織田(信長)・徳川(家康)軍」と「浅井(長政)・朝倉(義景)軍」が戦った合戦です。 合戦場となった姉川が、兵たちの赤い血で真っ赤に染まったと…