【宇留摩(鵜沼)城攻め】信長美濃攻略。”木下藤吉郎”伊木山に砦を築き宇留摩(鵜沼)を攻めよ!
サルッ(秀吉)、伊木山に砦を築け! 宇留摩(城)を落とせ! 1564年(永禄7年)に、織田信清の犬山城を陥落させ、中美濃攻略に光明を見出した信長ですが、翌年1565年(永禄8年)8月に犬山城からほど近い「宇留摩(別名:鵜沼)城」攻めを行います。 城には鵜沼の虎と呼ばれる、斉藤側家臣の「大沢次郎左衛門基康」が守ります。 宇留摩(鵜沼)城は、犬山城から木曽川を隔てた対岸に位置し、巨大な岩山に築かれ人の往来を阻む堅固な要塞城となっています。 信長は、その要塞城を崩すために、城の南西にある伊木山に砦を築き宇留摩(鵜沼)城攻めの拠点としました。 信長の中美濃攻略の足掛かりとなった戦が「宇留摩(鵜沼)城攻め」と言われています。 宇留摩(鵜沼)城攻め 場所 地図 場所は現在の岐阜県各務原市鵜沼南町で犬山城の対岸にあり、岩山でできた山頂にあります(現在は廃城:立入禁止)。(小牧山城からは北に約10km位の場所) 中央に位置するのが「犬山城」。(中央) 犬山城と木曽川を挟んで対岸に位置するのが「宇留摩(鵜沼)城」。(右上) 信長が砦を築いた標高173mの「伊木山」。(左下) 宇留摩(鵜沼)城攻め 織田信長vs大沢次郎左衛門基康 布陣 戦力比較 美濃攻略の方針を中農に変えた信長。まずは鵜沼の虎大沢次郎左衛門の「宇留摩(鵜沼)城」の攻略を開始します。 合戦図 岩山の堅固な要塞となっている「宇留摩(鵜沼城)」攻めを任されたのが、当時足軽大将だった「木下藤吉郎」です。 いわずと知れた後の秀吉ですが、この頃からすでに信長家臣の中では頭角を現していたようです。 しかし、さすがの藤吉郎(後の秀吉)も、この要塞城攻めは単なる力攻めでは破れないと考えたようです。 その藤吉郎が考えた策が、大沢次郎左衛門への「調略」でした。 兵力差 【織田信長軍】 【大沢次郎左衛門軍】 不明 不明 戦闘目的 【織田信長軍】 【大沢次郎左衛門軍】 中農侵攻 宇留摩城攻略 攻略阻止 主な参戦武将 【織田信長軍】 【大沢次郎左衛門軍】 織田信長・木下藤吉郎 他 大沢次郎左衛門 他 宇留摩(鵜沼)城攻め 合戦の行方