【高天神城の戦い】高天神を制する者は遠州を制する!
武田軍が猛襲!家康の三河へ侵攻! 信長急げ、家康を救え!! 1574年(天正2年)2月に、東美濃にあった十八城のすべてを、「武田勝頼」に奪われた信長。 武田軍の脅威が目前となってから3か月後の5月、「武田勝頼」は三河の家康領内の「高天神城」に侵攻します。 この「高天神城の戦い」は、信長直接の合戦ではないものの、同盟国である三河の「徳川家康」と「武田勝頼」との戦いを言います。 当時の家康とは、同盟していたとはいえ、事実上は織田家の家臣として配下に存在していたと言われます。 この合戦も、信長の合戦のひとつとして捉えてまいります。 高天神城の戦い 場所 アクセス 高天神(たかてんじんじょう)は、現在の静岡県掛川市上土方にあった山城で国の史跡に指定されています。 2017年4月6日に、日本100名城(147番)に選定されています。 元は今川領で、後に徳川家康と武田信玄・勝頼と激しい争奪戦を繰り広げられた城です。 高天神城の戦い 武田勝頼のねらい 今年(1574年)2月に、織田領内である東美濃十八城のすべてを奪い、近江・京へのルートを確保しつつあった勝頼は、次は三河家康の「高天神城」に侵攻します。 元々は、高天神城は今川氏の支城でしたが、桶狭間の戦い以降、今川氏の衰退によって城主「小笠原氏興(おがさわらうじおき)」は徳川方に付いていました。 遠江・駿河の国境近くにある「高天神城」は、徳川氏にとって遠江支配の重要拠点でもありました。 今川氏衰退の後、武田信玄は駿河を平定後、信玄亡き後の勝頼は、三河・遠江方面へ手を伸ばしており、その折に家康との小競り合いが続いていました。 東美濃を制した勝頼は、信長の同盟国である小国の家康を攻めることにより、信長へのプレッシャーを強めていきたいと考え、拠点となる高天神城はどうしても欲しい重要拠点だったのです。 高天神城の戦い 織田軍vs武田軍 布陣 戦力比較 兵力差 【織田軍】 【武田軍】 1000 2万5000 戦闘目的 【織田軍】 【武田軍】 侵攻阻止 高天神城攻略 主な参戦武将 【織田軍】 【武田軍】 小笠原長忠(信興) 他 武田勝頼 他