【はげねずみ】信長がねね(秀吉妻)に送った手紙に、信長の優しい一面が…!

織田信長

 

信長からねね(秀吉妻)へ送られた手紙!

秀吉はサルではなくはげねずみ…と呼ばれた⁉

織田信長

ねね(秀吉妻)

信長がねねに送った手紙とは?

織田信長といえば、冷酷残忍で冷酷無比のイメージがありますが、秀吉の妻である「ねね(おね)」に宛てた手紙が現存しているのをご存知でしょうか…。

秀吉の日ごろの「浮気」に悩む、ねねの内心を気遣った、優しい言葉で表現されているのです。

この手紙には、秀吉の事をいつもの「サル」ではなく、「はげねずみ」と現わしている点も見逃せません。

秀吉(はげねずみ?)

ドラマや映画などでは、サルと呼ばれていたイメージが強い秀吉も、信長が送った手紙では(はげねずみ)このような表現もしていたのですね…。

では実物を実際に見てみましょう。

信長の手紙

信長からねねに宛てた書状

この書状は、1581年(天正9年)に書かれたとされており(天正4年説あり)、今も現存しており個人蔵となっています。(国重要美術品)

内容は下記の通りです。

私の命に従い、この度、この地(安土城)にはじめて尋ねてくれて嬉しく思う。

その上、土産の数々も美しく見事で、筆ではとても表現できない程だ。

そのお返しに、私の方からも「何をやろう」かと思ったが、そなたの土産があまりに見事で、何を返せば良いのか思い付かなかったので、この度はやめて、そなたが今度来た時にでも渡そうと思う。

そなたの美貌も、いつぞやに会った時よりも、十の物が二十になるほど美しくなっている。

藤吉郎(秀吉)が、何か不足を申しているとのことだが言語同断けしからぬことだ。

どこを探しても、そなたほどの女性を二度とあの禿ねずみは見付けることができないだろう。

これより先は、身の持ち方を陽快にして、奥方らしく堂々と、やきもちなどは妬かないように。

ただし、女房の役目として、言いたいことがある時はすべて言うのではなく、ある程度に留めて言うとよい。

この手紙は、羽柴(秀吉)にも見せること。

又々 かしく藤吉郎 女ども

のぶ

ねねの安土城の来訪を喜び、ねねの美貌が以前よりも増して美しくなっていたことを喜んでいることが伺えます。

中文以降の、「…何方をたずね候えども、それさまほどのは、又ふたたび、かのはげねずみ、相もとめがたき間…」は、どこを訪ねても、あなたほどの妻は、かのはげねずみには難しかろう、と言っているところは、信長が秀吉を「サル」ではなく「はげねずみ」と言っているのが分かります。

「あなたもこれからは朗らかな気持ちで、妻らしく重々しく振る舞って嫉妬を起こさないように、言いたいことも少々我慢するほうがよい」は、あの冷徹なイメージの信長を、がらりと変える優しい信長に感じられます。

この、信長からねね宛てに送られた手紙は、信長の印象をがらりと変え、優しい性格の持ち主であった事を伺わせる、手紙と言えそうですね♪

信長
今ごろ、ワシの性格に気付きよったか…。

日ごろは優しく、仕事は厳しくが、ワシの信念じゃ!

 

 

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