【西美濃侵攻戦】道三亡き後、斉藤義龍強し!信長二度による美濃攻略も失敗!!

信長全合戦

 

今川義元討死!

次なるターゲットは美濃制圧!

「桶狭間の戦い」で一躍戦国の表舞台に立った信長は、今川義元に勝利した余韻もなく、次なるターゲットである義父「斎藤道三」を殺した嫡男「斎藤義龍」の所領である西美濃に侵攻します。

それは「桶狭間の戦い」からわずか10日後の事でした。

西美濃安八郡を焼き払い、多岐「丸茂」氏池田「市橋」氏と交戦します。

今川義元に勝利し、勢いずくも美濃勢に思わぬ苦戦を強いられます。

この戦いが「西美濃侵攻戦」といわれています。(総見記)

西美濃侵攻戦 場所 合戦図

場所は現在の名古屋市安八郡に位置し、名古屋から北西に約35kmの所にあります。

現在ではのどかな田園風景となっています。

西美濃合戦場

航空写真 左揖斐川 右長良川

織田信長覇道の全合戦

1560年(永禄3年)6月と8月の2回に渡り、信長は道三のいない美濃への侵攻を開始します。

道三亡き後は、嫡男の「斎藤義龍」が美濃を収めており、今川義元を破った信長は、手始めに尾張中嶋郡から木曽川を超えて西美濃に侵攻したとあります。(総見記)

 

 

西美濃侵攻戦 織田軍vs斉藤軍 布陣 戦力比較

兵力差

【信長軍】 【斉藤軍】
1000 不明

戦闘目的

【信長軍】 【斉藤軍】
美濃攻略に先駆けた西美濃侵攻 美濃防衛

主な参戦武将

【信長軍】 【斉藤軍】
織田信長 他 丸茂氏・市橋氏・長井甲斐守 他

西美濃侵攻戦い 経緯 勝敗

桶狭間の戦いからわずか10日後の6月2日、西美濃侵攻の為、手始めに美濃安八郡の村々に放火し、多岐の「丸茂」氏、池田の「市橋」氏と交戦。

そこへ、大垣城の「長井甲斐守」が丸茂・市橋氏の援軍に駆け付け、信長軍は桶狭間快勝の慢心もあったのか大敗してしまいます。

続く8月にも、敵領の収穫に打撃を与える目的で侵攻するものの、待ち構えていたかのように敵兵が守っており、ほとんど戦わずして撤退をしています。

道三の後を継いだ「斎藤義龍」が、思いのほか手強い相手であることを思い知らされた戦いでした。

討死武将

【信長軍】 【斉藤軍】
【不明】 【不明】

勝敗

【信長軍】 【斉藤軍】

【敗因】

1回目:斉藤側に援軍参加

2回目:斉藤側の強固な守り

【勝因】

2合戦とも信長の行動を事前に把握

西美濃侵攻戦 まとめ

1560年(永禄3年)6月と8月の2回に渡り、桶狭間の勝利で一気に美濃攻略へと進んだ信長であったが、つけ入る隙も無く何の成果も得られずに完敗となります。

1度目は大垣城「長井甲斐守」の援軍により、2度目は大勢の敵軍に守備され手も足も出せず、2度の美濃侵攻は信長の完敗に終わりました。

敗因は「斎藤義龍」による尾張への調略がすでに始まっていたと考えられています。

この先始まる「美濃攻略」は、信長にとって思いのほか、難儀な戦いとなっていくのです。

 

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