三河武士強し!
奇襲に後退!
「品野城」は尾張領内にありながら、信長父「信秀」の時代に、松平清康(家康祖父)が攻略した城です。
当時の松平家は、すでに今川義元の支配下にあり、信長としては、いつ今川が侵攻してきてもおかしくない状況でした。
そこで信長は、三河に続く今川攻略として1558年(永禄元年)3月、この品野城を攻略すべく、五輪の山に砦である「山崎城」を築き合戦となったのが「品野城の戦い」です。
品野城の戦い 場所 合戦図
場所は愛知県瀬戸市上品野町秋葉山の山頂辺りにあり、写真の鳥居は稲荷神社の入り口となっていますが、品野城はこの奥にあったとされています。
現在は東海環状自動車道が通っており立入禁止になっています。
品野城の戦い
信長は「品野城」を攻略するために、まずは傍の山中に砦となる「山城城」を築きます。
城主には「竹村長方」と兵1000を置き、品野城攻めへのチャンスをうかがいます。
品野城主は勇猛果敢で知られる三河の「松平家次」。
当時の松平元康(家康)の命で城の守りを固めます。
そして1558年(永禄元年)3月、信長は一気に品野城へ攻め込むのです。
品野城の戦い 織田信長vs松平家次軍 布陣 戦力比較
信長軍 信行軍 兵力差
【信長軍】 | 【松平家次軍】 | ||
1000 | 不明 |
戦闘目的
【信長軍】 | 【松平家次軍】 | ||
失地回復 | 城防衛 |
主な参戦武将
【信長軍】 | 【松平家次軍】 | ||
竹村長方 他 | 松平家次 他 |
品野城の戦い 合戦 経緯 勝敗
砦の山崎城から一気に攻め込んだ信長軍ですが、相手は屈強の三河武士「松平家次」もひるまず応戦します。
信長軍1000に対し、松平家次軍は籠城のため実際の兵数が分かりません。
頑強に抵抗する松平軍に対し、一旦兵を山崎城へ戻し体制を立て直しかけたその時、夜陰の豪雨に紛れて松平軍が「夜襲」を掛けてきました!
豪雨に紛れ突然の急襲をかけてきた松平軍に、信長軍は竹村長方をはじめとする50余名の戦死者を出し山崎城から敗走。
品野城攻略どころか、砦の山崎城まで奪われる痛い敗戦となりました。
討死武将
【信長軍】 | 【松平家次軍】 | ||
【約50名】
竹村長方 他 |
不明 ほぼ無し |
勝敗
【信長軍】 | 【松平家次軍】 | ||
【敗因】 夜襲は無いと油断 |
【勝因】 相手の油断を突く豪雨の夜襲 |
品野城の戦い まとめ
三河と隣接する「品野城」は、三河以東の今川攻略には不可欠な位置でした。
戦いは、三河勢に今川軍も加えた「松平家次」の圧勝となりましたが、信長にとって三河軍の屈強さと今川の脅威が計られた戦いでもありました。
初の1敗を喫した信長は、その後方針を転換、尾張統一を急ぎます。
この戦いで信長は、三河・今川の強靭さが計れる事になり、敵の情報を知る事の重要性を学びます。
この戦いは、この先続く「桶狭間の戦い」の勝敗を左右する重要な戦いとなったのです。
コメント