【梅ヶ坪城攻め】桶狭間で義元死後、清州同盟前の「信長」vs「元康」(家康)の対決!勝敗はいかに…⁉

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信長vs元康(家康) 前哨戦!

勝敗はいかに…?

1560年5月「桶狭間の戦い」で今川義元が討死して以来、信長と元康(家康)の関係は未だ敵対同士です。

元康(家康)は、義元嫡男の「氏真」に義元の弔い合戦を進言しますが、氏真は動く気配がありません。

業を煮やした元康(家康)は、元々自らの拠点である岡崎城から信長の尾張へと勢力を拡大していきます。

信長もこれに対抗し、三河への侵攻を開始します。

桶狭間の戦いの翌年(1561年4月3日永禄4年)、信長と元康(家康)がまだ同盟する以前となる戦いが、「梅ヶ坪城」を舞台とした合戦です。

梅ヶ坪城攻め 場所 合戦図

場所は現在の愛知県豊田市梅坪町7丁目付近で、名古屋から東に約30kmの所にあります。

現在は廃城となっており、史跡はありません。

梅ヶ坪城(廃城)

梅ヶ坪城航空写真(右が矢作川)

参考:覇道の全合戦

義元が桶狭間で討たれ、未だ動く気配を見せない嫡男氏家に対し、元康(家康)は自ら勢力を拡大し始めます。

以前は、織田家の人質として信長との親交もあったはずの元康(家康)は、その信長の領土である横根や石瀬に兵を出します。

その対抗策として、信長も三河の「梅ヶ坪城」を攻め入ります。

信長と元康(家康)の初対決となる合戦がいよいよ始まります。

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梅ヶ坪城攻め 織田軍vs元康軍 布陣 戦力比較

兵力差

【信長軍】 【元康軍】
不明 不明

戦闘目的

【信長軍】 【元康軍】
三河侵攻 尾張侵攻

主な参戦武将

【信長軍】 【元康軍】
織田信長・平井九右衛門・水野信元・前野義高 他 石川数正 他
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梅ヶ坪城攻め 経緯 勝敗

元康(家康)の横根・石瀬の侵攻に対抗して、「梅ヶ坪城」に攻め入った信長は、わずか三日で敵を追い詰め村や収穫前の田畑を焼き尽くします。

しかし敵兵も屈強な射手が出撃して応戦、白兵戦となり信長方の前野義高は討死します。

わずかな犠牲を出したものの、本格的な戦闘までにはならず、梅ヶ坪の大半を焼き尽くした戦果を挙げ信長は兵を返します。

一方の元康(家康)は、この戦いでは動かず沈黙を守り、信長との直接対決にはなりませんでした。

討死武将

【信長軍】 【元康軍】
前野義高 不明

勝敗​

【信長軍】 【元康軍】
 

【勝因】

梅ヶ坪・刈田の田畑焼き払い戦果

 

【敗因】

元康(家康)動かず

梅ヶ坪城攻め まとめ

1561年(永禄4年)4月3日、「梅ヶ坪城」を攻めた信長ですが、前野義高が戦死するなど完全な勝利とはならないまでも、梅ヶ坪・刈田を焼き払うなど一定の戦果を挙げました。

一方元康(家康)は、この戦いを様子見、一切動かず、戦況を見守るだけとなりました。

この勝負、信長側に一定の戦果がアリと判断して、信長の勝利としました。

この後信長は、すぐさま兵を返し、次なるターゲット三河の「伊保城」「八草城」攻めへと展開していくのです。

 

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1 個のコメント

  • 梅が坪は伊保、広瀬と同じく、賀茂郡の国衆三宅氏の持ち城です

    桶狭間以後の三宅氏の詳しい動向は不明です。

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