信長全合戦 【小谷城の戦い】浅井長政・お市の方の運命は…⁉信長vs長政いよいよ決戦の時!
「織田信長」vs「浅井長政」最後の決戦! 1573年(天正元年)8月20日に、越前「朝倉義景」が自害して500年もの間栄華を誇った「朝倉氏」が滅亡しました。(一乗谷城の戦い) その後信長は、間髪入れずに江北に戻り「浅井長政」との最終決戦に臨みます。 8月26日から9月1日に渡り、信長の妹「お市の方」の夫である「浅井長政」との最終決戦となったのが、「小谷城の戦い」です。 小谷城の戦い 場所 地図 アクセス 現在の滋賀県長浜市湖北町伊部にあります。 当時は堅固な山城として有名でしたが、織田信長に攻められ落城した後に、拠点は長浜城に移されたために廃城となっています。 現在は土塁・曲輪などのほか石垣なども遺構として残っており国の史跡に指定されています。 小谷城の戦い 信長の動き 朝倉義景自刃から決戦前日まで 1573年(天正元年)8月20日に、「朝倉義景」が自刃し朝倉氏を滅亡させた信長は、休む間もなく一乗谷から一気に「長政」のいる小谷城(江北)へ向かいます。 26日には「小谷城」の目の前にある「虎御前山」の本陣に帰還します。 第5次とも第6次とも言われる、「浅井長政」(小谷城)への攻撃が、ついに最終決戦となりました。 虎御前山に着陣した信長は、全軍に総攻撃を命じます。 小谷城の戦い 織田軍vs浅井軍 布陣 戦力比較 信長の掛け声とともに、信長全軍は小谷城へと進軍します。 難攻不落を極めた小谷城は、自然の要塞でもありました。 兵力差 【織田軍】 【浅井軍】 3万 5000 戦闘目的 【織田軍】 【浅井軍】 浅井長政討伐 討伐阻止 主な参戦武将 【織田軍】 【浅井軍】 織田信長・羽柴秀吉 他 浅井長政・浅井久政・浅井政元・赤尾清綱 他 27日に羽柴秀吉隊3000の兵が、本丸(長政)と小丸(長政父「久政」)にとの間にある京極丸を落とし、父子の分断に成功します。 そして秀吉隊は、久政のいる小丸への攻撃を開始し、久政を追い詰め自刃します。 父「久政」と分断され、次第に本丸への攻撃も激しくなる中、長政は嫡男の「万福丸」と、正室であり信長妹である「お市」とその娘*3人(茶々・初・江)を秀吉隊に引き渡します。