連日の合戦に勝利せよ!
西三河侵攻戦!
昨日の梅ヶ坪城攻め(1561年4月3日)で、敵を追い詰め勝利した信長ですが、翌日には高橋郡を経由し加治屋村も焼き払います。
その日は野営する余裕を見せ、次は目前の「伊保城」と「八草城」に攻め入ります。
梅ヶ坪城に続く、伊保城・八草城攻めと、信長の西三河侵攻は続きます。
伊保城・八草城攻め 場所 合戦図
場所は現在の愛知県豊田市保見町西古城付近で、名古屋から東に約25kmの所にあります。
現在は廃城となっており、城址があるだけとなっています。
信長は、西三河侵攻の為、まず先に梅ヶ坪城を攻め、清州に戻る際に伊保城を攻め込みます。
守りが手薄だったとは言え、城下と田畑を焼き払い、その日は野営をした翌日に八草城も攻め、ここでも周辺の田畑を薙ぎ払って清州へ帰還しています。
この合戦は、詳しい史料が残されていないものの、義元亡き今、三河から以東の侵略への足掛かりとして、信長にとっては大きな意味のある領域ではなかったかと考えられています。
伊保城・八草城攻め 織田軍vs元康軍 布陣 戦力比較
兵力差
【信長軍】 | 【元康軍】 | ||
不明 | 不明 |
戦闘目的
【信長軍】 | 【元康軍】 | ||
三河侵攻 | 尾張侵攻 |
主な参戦武将
【信長軍】 | 【元康軍】 | ||
織田信長 他 | 不明 |
伊保城・八草城攻め 経緯 勝敗
梅ヶ坪城攻めの勝利から、清州へ戻る際の、連日の城攻めとなった「伊保城・八草城攻め」。
田畑の焼き払い・刈田が目的で、大きな合戦ではありませんでしたが、信長の西三河侵攻の足掛かりとしては、戦果の大きい戦いとなりました。
信長の西三河侵攻はこれに止まらず、さらに翌月、三河賀茂郡にある「拳母城」攻めへと続いていきます。
討死武将
【信長軍】 | 【元康軍】 | ||
不明 | 不明 |
勝敗
【信長軍】 | 【元康軍】 | ||
【勝因】 田畑焼き払い |
【敗因】 元康(家康)動かず |
梅ヶ坪城攻め まとめ
1561年(永禄4年)4月4日以降、「梅ヶ坪城攻め」から連日の城攻めとなった「伊保城・八草城攻め」ですが、信長は難なく城下の田畑を焼き払い、刈田することに成功しました。
この戦により、西三河領域(侵攻)への足場を作った信長ですが、翌月には三河賀茂郡の拳母城へと攻め入ります。
未だ敵対している信長と元康(家康)!
お互いの距離がだんだんと近づいていくのが分かります。
信長vs家康は起こるのか…。
この時の、2人の心境はどうだったのでしょうか…。
信長バトル21「拳母城攻め」が見離せない…!
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