信長完敗!
竹中半兵衛の十面埋伏の計に敗れる!
1561年6月下旬、犬山城主の「織田信清」が美濃の斉藤龍興と結んで、信長と「小口城」で合戦となりましたが、ほぼ同時期に信長は斎藤龍興の「稲葉山城」にも攻撃を仕掛けています。
織田信清と結んだことがよほど気に障ったのでしょうか、信長は斎藤龍興にも攻撃を仕掛けた戦いが「稲葉山城攻め」と言われています。
稲葉山城攻め 場所 地図
場所は現在の岐阜県岐阜市18(金華山山頂)にあり、現在は岐阜城として岐阜市民のシンボルとなっています。(清州城からは北に30km弱の場所にあります)
稲葉山城攻め 織田信長vs斎藤龍興 布陣 戦力比較
実はこの戦い、信長の史記として最も信憑性の高い「信長公記」にも記載がありません。
ただ、織田信清が斎藤龍興と結び反旗を翻したことは事実のようで、「小口城合戦」とこの「稲葉山城攻め」は信長の二方面同時作戦ではなかったかと考えられています。
兵力差
【織田信長軍】 | 【斎藤龍興軍】 | ||
不明 | 不明 |
戦闘目的
【織田信長軍】 | 【斎藤龍興軍】 | ||
美濃侵攻 | 侵攻阻止 |
主な参戦武将
【織田信長軍】 | 【斎藤龍興軍】 | ||
織田信長・木下秀吉 他 | 斎藤龍興・竹中半兵衛 他 |
稲葉山城攻め 合戦の行方 竹中半兵衛の策
この合戦の詳細は史料が少なく詳細が分かりませんが、合戦の勝敗から言えば、信長は堅固な稲葉山城を崩せず撤退することになります。
撤退となった理由が、後の秀吉の軍師となる「竹中半兵衛」の策にあったと言われています。
その策が「十面埋伏の陣(じゅうめんまいふく)」。
三国志の計略と言われ、10隊の伏兵と囮部隊で敵を攻撃する陣立てです。
隊を右に5隊、左に5隊に分け、伏兵として潜ませておき、別の先鋒隊が囮となって敵を誘い込んだところを、その伏兵たちが順に繰り出し敵を攻撃する作戦を言います。
信長の合戦において、竹中半兵衛がはじめて登場した戦でもありました。
討死武将
【織田信長軍】 | 【斉藤龍興軍】 | ||
不明 | 不明 |
稲葉山城攻め 結果
1561年(永禄4年)6月下旬、小口城合戦とほぼ同時期に行われた合戦ですが、軍師「竹中半兵衛」十面埋伏の陣(計)に阻まれ、あえなく撤退、負け戦となりました。
【織田信長軍】 | 【斉藤龍興軍】 | ||
【敗因】 計略に完敗 |
【勝因】 竹中半兵衛の策により勝利 |
稲葉山城攻め まとめ
竹中半兵衛の登場(策)により撤退となった信長軍。
「小口城合戦」との二方面同時作戦でしたが、2つの合戦とも敗戦に終わりました。
斎藤義龍の後継「斎藤龍興」の思わぬ強さに、美濃統一が遠のく信長。
新たな脅威となった「竹中半兵衛」の存在。
この先どうする信長…。
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