【小口城の合戦】犬山城主「織田信清」反旗!信長vs信清の従兄弟対決勃発!

信長全合戦

 

織田信長vs織田信清

従兄弟対決!

1561年6月下旬、一か月ほど前の「十四条・軽海の戦い」で勝利した信長でしたが、この戦いで弟を討ち取られてしまった犬山城主「織田信清」が斎藤龍興と組んで謀反の動きを見せます。

織田信清といえば、信長の従兄弟でもあり信長姉を娶り岩倉城攻めや尾張統一戦でも協力的で良好な関係にありました。

その信清が先の合戦で、無理やり戦場に駆り出され、弟を討死させられた腹いせか、美濃の斎藤龍興と結んで信長に反旗を翻します。

それを知った信長は、信清の反旗による北尾張の憂いを抱えることになり、犬山城の支城でもある「小口城」で信清との戦いが起こります。

これが「小口城の合戦」と言われています。

小口城の合戦 場所 地図

場所は現在の愛知県丹羽郡大口町城屋敷1丁目にあり、清州城からは北に15km程の場所にあります。

現在は小口城址公園となっています。

小口城

現在は小口城址公園となっています

現在の犬山城 織田信清

現在の清州城 織田信長

小口城の合戦 織田信長vs織田信清 布陣 戦力比較

合戦図

織田信長覇道の全合戦

犬山城主「織田信清」は、支城の「小口城」「黒田城」を領有し再び尾張国内に憂いを脅かす存在となります。

信長は当初、小口城の城主であった信清の家老「中島豊後守」調略しようと試みますが失敗に終わります。

失敗した以上、力攻めで挑むしかありません。

1561年永禄4年6月末、信長vs信清の従兄弟対決が勃発するのです。

兵力差

【織田信長軍】 【織田信清軍】
不明 不明

戦闘目的

【織田信長軍】 【織田信清軍】
謀反反乱鎮圧 反乱

主な参戦武将

【織田信長軍】 【織田信清軍】
織田信長・岩室長門守 他 織田信清・中嶋豊後守 他

小口城の合戦 合戦 ゆくえ

信長軍は小姓衆が一体となり、城壁を討ち破り城内に入り戦います。

城内となればさすがに敵側の勝手知ったところ、信長方で信長の近習「岩室長門守」が、こめかみに槍を受け討死します。

両軍数時間戦いましたが、信長はついに小口城を攻略できずに撤退となりました。

討死武将

【織田信長軍】 【織田信清軍】
岩室長門守他10数名 不明

小口城の合戦 結果

1561年(永禄4年)6月下旬、犬山城主「織田信清」が美濃の斎藤龍興と組んだことにより、前線基地である「小口城」を攻めた信長でしたが、城内で数時間戦うも近習の「岩室長門守」が討たれ、やむなく撤退となりました。

【織田信長軍】 【織田信清軍】

【敗因】

力攻め・勝ち急ぎ

【勝因】

城内での戦い(籠城戦)

小口城の合戦 まとめ

「隠れなき器用の仁」と言われた「岩室長門守」が討たれ、小口城を攻略できずに結局は負け戦となったこの戦い。

信長は、美濃攻略のため、現在の「清州城」では遠すぎると考えたのか、信清の犬山城へほど近い「小牧山城」へ居城を写すことになります。

敵側に近寄っていくとは信長らしい発想ですが、やがて小口城と黒田城は恭順する事になります。

信長の居城換えは、北尾張を含む美濃をけん制する大きな節目となったのです。

 

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