【野田城・福島城の戦い】顕如・石山本願寺vs信長の10年に渡る宗教戦争への幕開け!

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顕如・石山本願寺と織田信長の10年に渡る宗教戦争への幕開け!

1570年(元亀元年)8月26日、本圀寺の変で敗退し阿波へと流されていた「三好三人衆(三好政康、三好長逸、岩成友通)」の信長への畿内奪還のリベンジ戦となった合戦が「野田城・福島城の戦い」です。

この戦いの最中、石山本願寺「顕如(けんにょ)」が三好三人衆の加担をしたことから、この先10年以上に渡る「本願寺vs信長」の合戦の幕開けとなった戦いでもあり、第一次石山合戦ともいわれています。

信長vs本願寺顕如

本圀寺の変で敗退した後、遠国(阿波)に流されていた「三好三人衆」は、その年(1570年元亀元年)の6月、信長が姉川の戦いで近江に出陣していた頃、手薄になった畿内をこれを好機とみた三好三人衆の「三好長逸(みよしながやす)」は摂津の「荒木村重(あらきむらしげ)」を調略します。

荒木村重は当時、信長の配下である摂津池田城「池田勝正(いけだかつまさ)」の家臣となっていましたが、以前からソリの合わない勝正に対し「池田知正(いけだともまさ・勝正弟?)」と共に池田家内紛を起こし、当主である「池田勝正」を追放して三好方に与します。

与力を得た三好三人衆は7月21日に摂津国中嶋(現大阪市福島区)に進出し「野田城」「福島城」を築き、ここを拠点とした反織田の兵を挙げたのです。

三好三人衆畿内奪還と、この先「本願寺vs信長」の10年以上の戦いとなる宗教戦争となった「野田城・福島城の戦い」を紐解いてまいりましょう。

野田城・福島城の戦い 場所 アクセス

野田城 (のだじょう)は今の大阪府大阪市福島区玉川にあった平城です。(現在は石碑が残っています)

福島城については当時は野田城の東側に隣接していましたが、現在では場所が特定できず本成寺付近(大阪市福島区玉川)ではないかと言われています。

野田城址 参考:wik

本成寺(福島城付近) 参考:本成城

野田城・福島城の戦い 合戦図

野田城・福島城・石山本願寺と信長陣

大坂城天守閣蔵の石山合戦図を見ると、当時の野田城・福山城海や川に囲まれ島のような場所であったと推定されています。

三好三人衆はその場所に7月21日に築城し反信長の旗を上げた訳ですから、信長もすぐに反応します。

まず最初に、織田軍でいち早く動いたのが「松永久秀」で、居城である信貴山城で合戦準備を整えると27日には出立、河内に入国し三好三人衆軍の河内侵攻に備えます。

また8月2日、足利義昭は畠山昭高に御内書を送り、信長と合力し紀伊・和泉国の兵を集結させ三好三人衆軍に対処するように命じます。

そして8月17日三好三人衆軍は「三好義継(みよしよしつぐ」)」居城の「古橋城」(大阪府門真市御堂町)に攻め込みます。

古橋城・三好義継(現願得寺)

三好三人衆軍の前に「古橋城」の守りは400、首級218とあることから(細川両家記)、古橋城兵はほぼ全滅に近い損害となります。

この報せを受け事の大さを認識した信長は、自ら三好三人衆を討ち獲るべく、兵3千を連れ岐阜城を20日に出立。23日に京へと入ります。

その時の信長軍勢は4万(言継卿記)、京を25日に出立し、野田城・福島城から南東5kmの「天王寺」に布陣します。

これに対し三好三人衆軍も「三好康長」、「安宅信康」、「十河存保」、「斎藤龍興」等の阿波、讃岐、淡路からの援軍が得て、両軍対峙しついに開戦となります。

「信長vs三好三人衆」!

開戦

野田城・福島城の戦い 織田軍v三好三人衆軍 布陣 戦力比較

兵力差

【織田軍】 【三好三人衆軍
3万 1万3000

戦闘目的

【織田軍】 【三好三人衆軍】
三好三人衆討伐 畿内奪還

主な参戦武将

【織田軍】 【三好三人衆軍】
織田信長・足利義昭・松永久秀・三好義継・和田惟正・前田利家・佐々成政 他 三好長逸・三好政康・岩成友通・顕如・十河存保・斎藤龍興・鈴木佐大夫 他

野田城・福島城の戦い 戦況 行方

野田城・福島城の戦い合戦図 参考:覇王の全合戦

数で勝る織田軍ですが、「野田城」「福島城」が周りを海や川で囲まれた要塞城であった為、いきなり力攻めにしなかったようで、まずは謀略を仕掛けています。

8月28日に三人衆の三好政康の弟である「三好政勝」「香西長信」「細川信良」らを落とす事に成功し、さらに9月3日には将軍「足利義昭」が兵2千を引き連れ着陣し、信長軍は膨れ上がります。

そのような中、中立を保っていたはずの石山本願寺「顕如」が信長に対抗するかのように門徒宗に一通の檄文を通達しました。

それがこれ、

顕如が門徒宗へ送ったとされる「檄文」

顕如
信長が上洛して以来、我々に対し迷惑極まりない。昨年から難題ばかり押し付けて、それに対ししっかりと応じているにも関わらず、その甲斐もない。こうなれば取り除くしかない。慌ただしくはあるが、門徒衆は教えに背かず命をも顧みず忠節を持って事にあたって欲しい。もし本願寺に協力しない者は浄土宗の門徒を破門する。 九月六日 顕如 門徒中へ

この檄文は9月10日にも「浅井久政・長政父子」に送られたといいます。

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織田軍は「野田城・福島城」の攻略に、対岸に「砦」を築き「櫓」を立て、8日には野田城・福島城の西にあった「浦江城」を三好義継と松永久秀が攻め込みます。

三好・松永隊は「浦江城」を陥落させ「砦」とし、野田・福島城西側の川を埋めることで兵の往来を可能にした上で、11日に野田城・福島城への本格攻撃を開始

またこの日(11日)、「雑賀衆」「根来衆」の2万(内、鉄砲衆3千兵)からなる連合軍が遠里小野、住吉、天王寺の織田方へ着陣したことによって、織田軍と三好軍との間で「銃撃戦」となり、信長公記では「御敵身方の鉄砲誠に日夜天地も響くはがりに候」と伝えています。

その後、「浦江城」「畠中城」が落城し、2万の根来・雑賀衆も加わった信長軍に、回りを包囲された三好三人衆軍は、和睦を申し入れます。しかし信長はこれを完全拒否。一気に掃討しようとしていました。

しかし翌日の9月12日夜半、戦況は石山本願寺の「鐘」によって変化します。(細川両家記)

ゴ~~~~ン!

あの石山本願寺がついに参戦したのです。

本願寺勢は鐘を合図にして織田軍に襲いかかります。

この参戦によって三好三人衆軍の士気は盛り上がり、翌13日早朝、織田軍がせき止めていた防堤を打ち破り、陥落した「浦江城」だけではなく、「野田城・福島城」の周りを取り込んでいた「砦」も海水に浸かってしまいます。(細川両家記)

顕如

同日(13日)夜には「顕如」自ら鎧を着て織田軍の本陣に襲いかかり、「楼岸の砦」と「川口の砦」には石山本願寺から鉄砲を撃ちかけました。(信長公記)

 

そして16日には、檄文をしたためていた近江「浅井・朝倉」連合軍が信長の背後を突くべく進軍を開始

この報せを受けた宇佐山(近江)城主「森可成(もりよしなり)」(信長家臣)は、野府城主「織田信治」「青地茂綱」らと共に交通の要所である近江坂本の地を先に占領して街道を封鎖し、浅井朝倉連合軍の南進妨害を試みます

しかし、「顕如」の要請を受けていた「比叡山延暦寺」の僧兵も加わり、形勢は一気に逆転。信長軍は優勢だったはずの合戦が一気に窮地へと突き落とされます。

浅井久政・長政父子

20日には「森可成」らは数の増えた連合軍を押し返す健闘を見せるものの、ついに崩れて「森可成」「織田信治」「青地茂綱」の3人は討ち死にしてしまいます(宇佐山城の戦い)。

その後、京へ上り、さらには大阪へと侵攻を企む「浅井久政・長政父子」の行動を見て、信長は23日、ついに全部隊に「撤退命令」を出し、「足利義昭」と共に京へ戻る(逃げる)ことになりました。

討死武将

【信長軍】 【三好三人衆軍】
不明 不明

野田城・福島城の戦い 結果

合戦当初は優勢に進めていた信長軍でしたが、三好三人衆は、石山本願寺に加え、浅井・朝倉連合軍、さらに比叡山延暦寺の援軍に成功し、押され気味だった形勢を一気に逆転させ、信長軍はやむなく「全軍撤退」となりました。

合戦の経緯からして、信長軍の全軍撤退となりましたので、信長の「負け」とも考えられますが、本来の合戦相手である三好三人衆や本願寺には充分に打撃を与えていることから、不要な損害を避けるための撤退と考えられることから、この戦いは「引き分け」としました。

【信長軍】 【三好三人衆軍】
不要な損害を避けた撤退 浅井朝倉・延暦寺の加勢で引分けに持ち込む
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野田城・福島城の戦い まとめ

1570年(元亀元年)8月26日から9月23日まで行われた、「野田城・福島城の戦い」は両軍引き分けで終わりました。

当初は、「三好三人衆」の畿内奪還が目的であったはずが、「本願寺・顕如」「浅井・朝倉連合軍」を巻き込み、ついには「比叡山延暦寺」までが動いた合戦となりました。

合戦の規模からみて、両軍とも大きな損害は出ませんでしたが、この戦いはやがて来る大きな殺戮の匂いを残す合戦となりました。

合戦が終結した翌24日、京にいる信長はこの度の戦に業を煮やしながら近江へと向かったといいます。

よほど、この一戦(撤退)が悔しかったのでしょう。

この先戦いは「志賀の陣」へと続き、その後「延暦寺焼き討ち」「小谷城攻め」「本願寺門徒殺戮」へと続くことになるのです。

 

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