【犬山城攻略戦】信長、小牧山城に居城移転!狙うは国宝「犬山城」!

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2年の歳月をかけ、再度稲葉山城攻略を目指し、城下に攻め入ろうとした信長でしたが、またしても軍師「竹中半兵衛」の計略に嵌り「新加納の戦い」で敗北しました。

信長は2度にもおよぶ敗戦に、直接稲葉山城を攻めることを諦め、回りの支城から切り崩す作戦に切り替えます。その為の拠点となる城を清州城から「小牧山城」に移します。

そして新加納で敗れた翌年の1564年(永禄7年)5月から8月にかけ、美濃の斎藤龍興と結び敵対している織田信清の「犬山城」攻略にかかります。

この戦が「犬山城攻略戦」といわれています。

犬山城攻略戦 場所 地図

場所は現在の愛知県犬山市犬山北古券で木曽川のほとりにあり、現在は国宝に指定されています。(清州城からは北東に25km位の場所)

国宝犬山城 織田信清

犬山城から西方の景色

小牧山城 織田信長

小牧山上空

犬山城攻略戦 織田信長vs織田信清 布陣 戦力比較

美濃攻略の方針を竹中半兵衛により変えた(変えさせられた)信長ですが、まずは織田信清のいる「犬山城」の孤立化を図ります。

合戦図

まず最初に、織田信清の家老である小口城の「中島豊後守」と黒田城の「和田新介」を、信長方の「丹羽長秀」が調略を持って寝返らせます。

この2人は、よほど信長の小牧山への移転を恐怖に感じ取ったのでしょうか、信清を裏切り信長へ恭順します。

そして、完全に孤立化させた「犬山城」の四方を、「鹿垣(ししがき)*」で包囲します。

*鹿垣(竹や枝つきの木で粗く編んだ垣)

兵力差

【織田信長軍】 【織田信清軍】
不明 不明

戦闘目的

【織田信長軍】 【織田信清軍】
犬山城攻略 攻略阻止

主な参戦武将

【織田信長軍】 【織田信清軍】
織田信長・柴田勝家・佐久間信盛・丹羽長秀 他 織田信清 他

犬山城攻略 合戦の行方

1563年(永禄6年)4月に竹中半兵衛の計略で「新加納」で敗れてから1年後、美濃攻略の方針を回りの支城から攻め落とすことにした信長ですが、まず最初のターゲットが織田信清のいる「犬山城」でした。

1564年(永禄7年)5月に黒田城・小口城の調略に成功し、犬山城を孤立化させ四方を完全に包囲した信長ですが、犬山城の「織田信清」は籠城戦に持ち込み斉藤方の援軍を待ちます。

しかし、頼みの綱であった稲葉山城の「斎藤龍興」は、信長の完全包囲にはさすがに手が出せず、信清は援軍もなく窮地に追い込まれます

そして8月、信長はついに犬山城総攻撃を開始します。

「柴田勝家」「佐久間信盛」隊1000が小牧山から楽田原、五郎丸口へ、「丹羽長秀」隊1500が五条川沿いを北上、小口城から高雄、宮島堀砦へ進軍します。

「信長」本隊は犬山城を目指し上野原で陣立てし、翌日、柴田・佐久間・丹羽隊が犬山城に攻め込み、約4時間ほどで織田信清は降伏、城を空け渡すことになりました。

討死武将

【織田信長軍】 【織田信清軍】
不明 不明

犬山城攻略戦 結果

1564年(永禄7年)8月、調略により犬山城を孤立化させ、織田信清に勝利。

【織田信長軍】 【織田信清軍】

【勝因】

調略による犬山城の孤立化

【敗因】

家臣の裏切り

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犬山城攻略戦 まとめ

信長の現在の居城である清州から「小牧山」へ移すという事が、織田信清をはじめ家臣たちにも精神的圧力となり、犬山城を孤立化させる事に成功しました。

戦いは、織田信清が籠城戦に持ち込むも、援軍もないまま降伏するしかありませんでした。

勝因は、敵への「見えない圧力」が、功を奏したと言えます。

その後信清は、甲斐の「武田信玄」を頼っています。

 

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