【勝龍寺城・芥川山城攻め】信長、義昭を奉じついに上洛!畿内の三好三人衆(三好長逸・三好宗渭・岩成友通)を追い払え!

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信長、ついに上洛!

三好三人衆を討つ!

1568年(永禄11年)9月26日に、信長は足利義昭を奉じついに上洛。

9月7日に岐阜城を出発し、その間、南近江で「六角承禎(ろっかくしょうてい)」との争い(箕作城の戦い観音寺城の戦い)で、軍勢に大きな損害を出したにもかかわらず上洛に成功しました。

信長は陣をそのまま「東福寺」に置くと、2日後の28日には山城国から摂津国の諸城に拠る、六角承禎に組した「三好三人衆(三好長逸・三好宗渭・岩成友通)」を討つため出陣します。

この時、三好三人衆の一人である「岩成友通(いわなりともみち)」が京都南の「勝竜寺城」に拠っており、これに対して信長が勝竜寺城に攻撃した結果、本合戦が発生します。

その後、高槻の天神馬場に陣取った信長は、この勝龍寺城と約7kmほど離れた「芥川山城」にも進軍し、合戦となった戦いを総して「勝龍寺城・芥川山城の戦い」と言います。

勝龍寺城・芥川山城の戦い 場所 地図

勝龍寺城は現在の京都府長岡京市勝竜寺にあります。現在は勝竜寺公園として整備され、櫓などが建造されています。

現在では細川忠興・ガラシャ夫妻で知られており、毎年秋には「長岡京ガラシャ祭り」としても有名です。

本能寺の変後の明智光秀と羽柴秀吉の山崎の戦いで、光秀が秀吉に押され、最後に陣を置いたことでも知られていますね。

勝竜寺城

細川忠興とガラシャ

芥川山城は現在の大阪府高槻市の三好山にあった山城です。

現在は廃城となり、石碑が残っているだけです。

芥川山城

芥川山城石碑

「勝龍寺城」と「芥川山城」の位置関係。その間は約7kmほど。

右上が勝竜寺城で左下山に芥川山城

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勝龍寺城・芥川山城の戦い 信長軍vs三好軍 布陣 戦力比較

観音寺城の戦いで「六角承禎」を退けた信長は、1568年(永禄11年)9月26日、足利義昭とともについに京入りを果たします。

合戦図

勝龍寺城・芥川山城合戦図 参考:覇王の全合戦

上洛した信長は、京の東福寺に陣を置いたもののすぐに、家臣の柴田勝家(しばたかついえ)、蜂屋頼隆(はちやよりたか)、森可成(もりよしなり)、坂井政尚(さかいまさなお)ら4人に、六角承禎に組した三好三人衆の「岩成友通」が守る「勝竜寺城」の攻撃を命じます。

信長自身も28日には足利義昭を伴って三好三人衆の「三好長逸(みよしながやす)」「芥川山城」を攻撃します。

 

兵力差

【織田軍】 【三好軍
50000 不明

戦闘目的

【織田軍】 【三好軍】
三好三人衆討伐 阻止

主な参戦武将

【織田軍】 【三好軍】
織田信長・柴田勝家・蜂屋頼隆・森可成・坂井尚政 他 岩成友通・細川昭元・三好長逸 他

勝龍寺城・芥川山城の戦い 合戦の行方

「柴田勝家」「蜂屋頼孝」「森可成」「坂井尚政」の各隊は、桂川を渡り三好三人衆の一人「岩成友通」が守る「勝龍寺城」を一気に攻撃します。

「岩成友通」は足軽衆を前線に出撃させ、自らは籠城しながらも抗戦しますが、織田軍は精鋭の馬廻り衆を乗り入れ、戦いを有利に進めます。

織田隊の「柴田勝家」の猛攻はすざましく、三好軍の首級を50余りあげ勝利へと導きます。

その間、高槻の天神馬場に陣を置いていた信長本隊も、「芥川山城」を攻撃し夜には城を落としています。

9月26日に上洛し、9月28日には「三好三人衆」討伐への出陣を命じ、信長自身も5万兵を率いて勝竜寺城・芥川山城の攻略に向かっています。

畿内の広範囲を勢力下に置き我がものとしていた三好三人衆でしたが、織田方の大軍を前に多勢に無勢、降伏・開城することになりました。

討死武将

【信長軍】 【三好軍】
不明 不明

勝龍寺城・芥川山城の戦い 結果

1568年(永禄11年)9月26日~29日、信長大軍勢により「勝龍寺城」「芥川山城」陥落。信長勝利。

【信長軍】 【三好軍】
5万の大軍勢で完勝 大軍勢の前に多勢に無勢
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勝龍寺城・芥川山城の戦い まとめ

勝龍寺城・芥川山城合戦図

1568年(永禄11年)9月26日、信長は足利義昭と上洛後、休む間もなく上洛途中で信長と義昭の行程を阻んだ「六角承禎」に組した「三好三人衆」を討伐するためすぐに出陣しました。

「三好三人衆」は、大軍勢を率いた信長を前に降伏するしかなく、信長は大勝利を治めます。

これも、先の合戦「箕作城」「観音寺城」の戦いで、一日と持たずに「六角承禎」を追放した、織田軍の圧倒的強さ*の影響が出ていたのではないかと考えられています。

その後信長は、越水城、滝山城を戦わずして開城させ、伊丹城の「伊丹忠親(いたみただちか)」ももはや戦意なく戦わずして信長に降りることになります。

信長は上洛後、大軍勢を持って一気に進軍することにより、それまで畿内を牛耳っていた「三好三人衆」を阿波へと追いやり畿内を制圧することに成功したのです。

*当時の織田軍は軍勢も多く兵は精鋭部隊が揃っていました。(徳川家康・浅井長政の軍勢も含まれていた)

 

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